愛しすぎないために

獣医学と心理学のあいだでみつけた「大切」とのかかわりかた

獣医師という鎧を脱いで見つけたもの――はじめに

私が獣医師の道を志したのは、とても単純な理由からでした。幼少期に入院生活を経験したことで医療そのものに強い興味を抱いたこと、そして何より、動物が大好きだったこと。その真っすぐな思いを原動力に、私は「いのち」の現場へと飛び込みました。

しかし、実際に臨床獣医師として働き始めると、現実は理想だけでは語れないものでした。数多くの動物たちの終末に立ち会い、野鳥救護の現場では「野生の命」と「人間のエゴ」に翻弄されてきました。

かつての私は、誰よりも「愛しすぎて苦しむ」人間でした。 救えない命に絶望し、飼い主様の悲しみに同調しすぎては、自分の不甲斐なさに蓋をするように獣医師としての知識や技術の向上を続け、押しつぶされそうになりました。

その葛藤は動物相手だけでなく、人間に対しても同様でした。組織という「群れ」の論理に翻弄される日々の中でも、形を変えて私を追い詰めました。

「大切に思うからこそ、苦しい。どうすれば、健やかにかかわれるのだろうか」

その答えを探して、私は心理学や漢方の門を叩きました。そこで見つけたのは、相手を「愛」という名の物語で縛るのをやめ、あるがままの姿を観察するという、静かで自由なやりかたでした。

現在は、臨床の現場を振り返りながら、獣医学・生態学の視点と心理学の知見を融合させ、人や動物との「ほどよい距離のとり方」を探求しています。また、人と人との関係についてや、自分が抱えていることでもある愛着の問題についても学びを続けています。

このブログでは、診察室での出来事、野鳥の生きざま、そして社会という群れの中での気づきを、日々の記録として綴っています。

私の経験が、かつての私のように「愛しすぎて疲れてしまった」誰かの心を、ほんの少し軽くするきっかけになれば幸いです。

7000キロを旅した小さなシギのたくましさ

ミユビシギ

 

雨が続いた朝の浜辺には柔らかな光が満ちていた。
調査に向かったスタッフから、淡々とした、けれど確かな報告が入る。

「当該個体の足環が再確認ができました。元気に戻ってきています!」

 

その報告を聞きながら、私は一年前の、あの張り詰めた救護現場の景色を思い出していた。

小さな渡り鳥たちは次々と翼を伏せていった。昨日まで砂浜を群れ歩いていた素早さは失われ、岸辺には生気を失った塊がいくつも横たわっている。 野鳥救護の現場に、「物語」が入り込む余地はない。  運び込まれる鳥たちに名前はなく、ただの番号で管理される。目の前の個体を救うと同時に、その背後にある「野生」という大きな循環を守るための、極めてシビアな戦いだ。 

次々と命が消えていく中で、その一羽だけは、執拗に生にしがみついていた。 その鳥は、ミユビシギ。 多くの鳥にある後ろ指が退化し、三本の指(三趾)で砂浜を驚くべき速さで駆け抜けるシギだ。

保定のためにその体を包み込んだとき、手のひらに伝わってきたのは、羽毛の奥で激しく打つ鼓動と、信じられないほどの「軽さ」だった。 診察している最中は、目の前の処置を完遂することに必死で、感傷に浸る余裕など微塵もない。冷徹な機械になったつもりで、治療を行う。

けれど、処置を終え、ふと落ち着いて彼を見つめるとき、言葉にならない思いが込み上げてくる。  この小さい体で、彼は地球を縦断する7000キロの旅を続けてきたのだ。旅を支えるのは、余分なものを一切持たない、極限まで削ぎ落とされた機能美。私は、この小さな体の偉大な旅人を手にしているのだと、あらためて背筋が伸びる思いがした。

幸い、この個体は無事回復した。放鳥に先立ち、バンダー(標識調査員)の手によって、彼の細い足に小さなリングが装着される。それは再会を約束する指輪ではない。万が一、どこかで力尽きたときに、その生きた軌跡を記録するための名もなき墓碑銘ともいえるものだ。放した瞬間、一度も振り返らず、仲間の元へと消えていった。

 

あれから一年後。厳しい旅を越え、この個体は、再びこの日本へ戻ってきた。
彼は何事もなかったかのように、仲間と共に波打ち際を元気に駆け回っている。広大な自然の中へ放り出したはずの命が、かつて救護に携わった仲間の双眼鏡の中に、再び「生」のデータとして飛び込んできたのだ。

私は、震えるような感覚を覚えた。私の手の中にいた時間は、彼の一生の、ほんの数週間。もう二度と会うことは無いだろうという思いであった。けれど、あの時繋いだ命が、今この瞬間も、私の知らない遠い空を自由に泳いでいる。獣医師として無力さや虚しさを感じる日々の中で、心から喜べる出来事だった。

ペットとは違い、愛でることも、名前を呼ぶこともできないけれど、その「生」を遠くから言祝(ことほ)ぐこと。  これこそが、私が野鳥診療で学んだ、最も潔く、最も誇らしい「かかわりかた」だった。

 

 

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冷たい診察台の上で、彼は静かに軽くなった

小さな白い段ボールの棺の中に、彼が大好きだったふわふわの毛布を敷き詰めた。  エンゼルケアを終え、綺麗に整えたその体を、私は両手でそっと中へと運ぶ。毛布に沈み込むその重みは、つい先ほどまで私が必死に繋ぎ止めようとしていた「いのち」そのものの重さだった。その体は、持ち上げた瞬間に、無情にも驚くほど軽く感じられた。

ほんの少し前には、そこに宿っていた「いのち」という名の重力だけが、どこかへ消えてしまったかのように。

数時間前、この場所はもっと殺風景で、もっと殺気立っていた。
冬の朝の診察室。ステンレスの診察台は、ひんやりと私の手のひらに触れていた。私は自分の限界を突きつけられていた。 彼(猫)は、慢性腎不全の末期だった。その無機質な銀色の板の上で、私は敗北を認めざるを得なかった。
心電図のモニターは、もう波を描くのをやめ、フラットな線を淡々と映し出している。

獣医師として、自分の限界を突きつけられていた。薬の量を計算し、血管を探し、残された時間を数字に置き換えて格闘したが、結局のところ、私はこの小さな体を「死」という巨大な力から引き剥がすことはできなかった。

「……私の力が及ばず、本当に、申し訳ありませんでした」

私は、その亡骸の横で、深いお辞儀をした。
床を見つめる私の心は、自分の不甲斐なさが描く袋小路に完全に入り込んでいた。他の薬剤を選択していれば。いや、それ以前に――。  この数日間の処置は、この子にとって本当に「最善」だったのだろうか。  私が「最善」と信じて行ってきた延命は、この猫にとっては、ただ苦しみを長引かせただけではなかったか。  飼い主の期待に応えようとする私のエゴが、彼の静かな眠りを妨げてしまったのではないか。

顔を上げられない私に、彼女は穏やかに言った。

「先生、ありがとうございました。」
「先生に診てもらえて、この子も私も、本当によかった。」

私は、絶句した。  
提供できたのは「死」という最悪の結果だけで、私は敗北者のはずなのに。どうして彼女は、私に「ありがとう」と言ったのだろう。

獣医学が定義する「最善」は、生存期間の最大化だ。しかし、彼女が受け取った「最善」は、数値では測れない別の場所、例えば「共に最後まで戦った」という納得感の中にあったのかもしれない。

けれど、やはり一番の問いは未解決のまま残される。  
では、当の彼(猫)にとっての最善は何だったのか。

私たちはつい「この子も喜んでいるはずだ」と、都合のいい物語を重ねて自分を救おうとしてしまう。けれど、野生の気配を色濃く残す彼らにとって、死は不幸でも敗北でもなく、ただ静かに訪れる「現象」に過ぎないのではないだろうか。

結局のところ、何が最善だったのかという正解を、私はまだ持っていない。


ただ、あの時感じた「いのちの軽さ」と、彼女の「ことばの温もり」の矛盾を抱えたまま生きていくこと。 正解のない空白を、安易な物語で埋めずに耐えること。それが、愛しすぎて苦しくなる私たちが、動物という「他者」に対して持ちつづけることが、唯一のふるまいなのではないかと考えている。